親友との別れ

9日午前中に仕事を終え、嫁と車で東京へ向かった。

「あいつのお陰で東京まで小旅行させてもらえるなあ(笑)」

高速道路は目立った渋滞も無く、友との思い出話をしながら淡々と車を進める。

冬晴れの東名高速から見える富士山の雪を頂く姿は 今までに見たことも無いくらい美しい。


東京都狛江市
以前、彼の娘さんにバイクを届けに来て、道はしっかり覚えている。
「前に来たときこのあたりで迷ったよなあ」
「このあたりバイク屋さんいっぱいあるのに、わざわざうちなんかに注文してなあ」
「次は自分のバイクを買い換えて、奥さんとタンデムするゆうとったのになあ」
「定年退職したらNABEさんのCRSでイントラしたるで!悪い乗り方のええお手本やったら任しとけ!ともゆうとったしなあ」
涙で道が歪んで見える。

通夜の儀場で やっと会えた彼は 安らかに眠っていた。
企業戦士というのがふさわしいか分からないが 台湾・中国・アメリカと出張に次ぐ出張の30年。
日本の大手自動車用品販売会社の幹部として、海外に店舗展開する際の現場指揮者。
彼がよく言っていた
NABEさん、大阪弁は万国共通やで!?」
「言う事聞かん現地採用の人間には、片言の現地語で言うより大阪弁で怒鳴りまくったほうが効き目がある!」
身長186、ラグビーで鍛えた身体に強面の彼が大阪弁で・・・。わたくしでも恐ろしいかも?
通夜にはわたくしと同じく高校の同級生達が駆けつけ 彼の武勇伝を口々に・・・

そんな彼も病には勝てず 壮絶な戦いを容易に想像できるほど痩せてしまい

「これで楽になれたな・・しかしみずくさいぞ・・・天国で待ってろよ・・・・」

奥さんと2人の娘さんを残し さぞかし無念であったであろう。

肝心なときに力になれず 残された方々に言葉も見つけることができない。

涙しか出てこない情けない自分を露呈するばかりであった。



彼の姿をまぶたに焼付け儀場をあとにした。

帰阪するために嫁と走らせる車の中で

「これから東京が身近になるぞ。次はバイクでいこうな」

淡々と走り続けて自宅に到着したのが10日午前。

ライディングスクールに頭を切り替えて 彼の分も全うしていこう。